大坂城の「謎の石垣」は謎のまま

今秋の大阪はアツイ!!

知事&市長のダブル選挙??

いやいや。ワタクシ、大阪都構想をぶち上げているお方に「おバカ」呼ばわり・・・、いやおっさされたことがある「奈良県民」なので、そんなことはどーでもいい。

こちら、こちらが重要なの。


大阪城天守閣復興80周年を記念した数多くのイベントが組まれている。その中でも、とても魅力的だったのが

発掘された豊臣時代の石垣を特別公開!会期は6日間(終わってます)。次回の公開の予定は未定。そしてこの公開には、最大にして最強の条件がある。それは雨天中止だとのこと。

この期間に仕事を休める日はたった1日。祈ったよ。わたしゃ聖武天皇かというくらいに、あちこちに。ただ一つのことを。それは

「晴れておくれ」


そして、当日。日ごろの行いがたいそうよかったのであろう。もう、そうとしか思えんような空模様。


「天は我らを見放した(T_T)」

あぁ。どうよ、このけぶっている大阪城は。
城内あちこちにおかれている菊の花も、重要文化財の「乾櫓・焔硝蔵」も、私の心をなぐさめてはくれない・・・。




(焔硝蔵:徳川時代のもの)



(乾櫓:こちらも徳川時代のもの)


なぜなら。なぜなら、しつこく訪れた「謎の石垣」ゾーンは、無常にも蓋が閉められたまま。


実はこの時、朝から降り続いた雨の影響で(しかもかなり強く降っていた)、この巨大マンホール・・・、ちがった、本丸石垣付近をはじめとして、あちこちに水たまりが発生していたのである。

それもシャレにならないくらいの。

警備員のおっちゃんの憐れむような視線を全身に受けながら、あきらめ悪く写真をパチリ。「さぁ、大阪城公園駅から帰ろう」としたところ。

なんと、門の付近が深さ5cm以上の水たまり(というのか!?)と化していたのである。大阪城公園駅からやって来た方と、そちら方面へ帰ろうとする者(含む私)が、ボー然とたたずむ。ここから京橋方面へ行くとなると、城内を半周以上しなくてはいけない(大阪城は広いのだ)。たたきつけるような豪雨の中、正直「勘弁してくれよ」となったとき。

塀から一団の若人が現れたのだ。

「(?_?)」

なんと業を煮やした彼らは、石垣と塀をよじ登り、木の根っこに躓きながら(よい子は真似しないように)、攻めてきたんである。


やばい。我々もはやく逃げなければ。

京橋口への進路変更を早々にあきらめ、次々に同じルートで脱出を試みる人々・・・。


振り返ると


(山里曲輪の発掘現場。淀殿、秀頼君の最後の場所でもある。)


「ごめんよ。でも、もうここは落城するんだ・・・」


燃え盛る炎に包まれた大坂城を背に、下々の者は我先にと逃げたのだろう。
マンホールの蓋から噴水のようにあふれだす水をながめながら、なぜか、大阪城落城のシーンが頭をよぎった。


なぜなんだろう・・・。