発掘調査説明会にて井戸を見てきた
これがその井戸。
前回の破城騒ぎのあとも、箸尾さんやら越智さんやら十市さんやらとすったもんだをしたあげく、筒井氏、再び筒井城へ戻って参ります。前回の主郭は発掘現場から東側にある神社付近だったそうなんですが、今回は発掘現場から南側に主郭を移して築城したようです。
あくまで、伝承だそうですが。
現在蓮根畑になっている所が内堀だったそうなんですよー。そこで育っている「筒井蓮根」は大和野菜のブランドで、もっちりしていてオイシイです。
そんなことより。
やっぱり水源は大切ですからね、この井戸の近くに主郭があったと予想してもいいんじゃないかしら??ここらへん、「筒井順慶顕彰会」の皆さまがおられたから・・・でもないんでしょうが、ちょっと歯切れが・・・。
それにこれ以上、ここらへん掘れそうにないしね←住宅街です。
井戸枠の直径は2.5m、深さは2mほど(安全のため底までいってないって)。奈良らしくなく金気がない水が、湧いておりました。
「自己責任で飲んでみますか?」って(笑)。
それより、石組の中に転用石がゴロゴロとありますがな(笑)。どうみても蓮華模様ですねぇ。どこかの燈籠かなんだかの足元にあったんでしょう。
この井戸、上半分の石組が壊されて、その石材が井戸の中に投げ込まれていたそうです。
天正8年に出された「大和一国破城」令ですな。
そうです、信長は順慶坊やに「郡山城を除くすべての城を壊してきゃーも」(←あってるか?)と命じ、こんなに頑張って守ったり、奪い返したりした筒井城も破城の憂き目にあうわけです。
というわけで、ここらへんで私めの妄想メーターがぴくり!と反応。
っつーことはですね、この井戸は順慶やら嶋左近やら松蔵右近やらが使ってた!!ってことですよねぇ。
「彼らが日常的に目にしていたものと同じ光景を見ることができるって、素晴らしいことでしょう」
と、説明会でもおっしゃっておられました。
ほんとですねー。もう、すっかり気分は戦国時代(笑)に突入です。
一緒に出てきた遺物の数々。順慶も信長に茶道具をプレゼントしてましたよね、だからこれらも使っていたものなのかもしれませんねぇ。
「どこかで見れるようにしてくれないの?」
って言ってたオバサマがいらしたが、その通り!頼むぜ、大和郡山市!!郡山城の石垣修復も大事だけどさ。
発掘調査が終われば、市の土地なので史跡公園にするそうなんですけど、堀は無理としても、この井戸は見られるようにしておいてくれないかなぁ。ムリだろうなぁ、危ないしなぁ・・・。
今から450年ほど前に、筒井順慶は信長の命により筒井城から郡山城へ移り、その際、井戸の上部を破壊して埋め戻します。その時一緒に埋められちゃったのが・・・。
450年ぶりに日の光を浴びたのはいいけれど、線香は供えられるは、野の花が手向けられるは、しかも450年前にはなかったカメラでバシャバシャ撮られるは・・・。
大変な一日だったでしょうね。まんまんちゃん、あん。
移った先の郡山城の普請の際には、明智光秀もお目付け役で来たとか。今年も桜が満開です。
蛇足の蛇足。
その後順慶は36歳の短い生涯を終える。奈良にある伝香寺は、若くして亡くなった息子の菩提を弔うために、母が「香華の絶えない寺」にしたいと、椿を植えたとか。はらはらと花びらが落ちる椿は「武者椿(もののふつばき)」と言われ、奈良三名椿となっている。家臣だった島左近は順慶の年忌法要の際、とてもかわいらしい太子像を贈っています。