子嶋寺

高取町には、とても有名な寺院がある。

「妻は夫を慕いつつ〜」と言えば、お里・沢市の「壺坂寺霊験記」、違う、西国三十三ヵ所の札所である壺阪寺。

そして、日本三大曼荼羅図の一つ「紺綾金銀泥絵両界曼荼羅図」(通称飛行曼荼羅)の、ここ子嶋寺である。このとても大きい両界曼荼羅図は、現在奈良国立博物館にある。

子嶋寺山門。
明治になって、高取城の二の門を移築したもの。

創建は古く、孝謙天皇の勅願により建立。当時はとても隆盛を極めており、境内も高取町から明日香村にいたる広大な敷地であったとか。江戸時代からは高取城の城主植村家の祈祷所としての庇護を受ける。本堂の他に、毎朝3時に歴代のご城主と住職が、ここの観音様に城下の安泰を祈願していたという、世が世なら下々の者(私のことね)が入ることなぞありえん仏間をご案内していただいた。

子嶋寺境内。


坂上田村麻呂や、子嶋寺と清水寺との関係なぞ、とても興味深いお話を伺ったが、あまりに壮大すぎて理解の範疇を越えちゃっている(←いつものことか 汗)ので、せっかくご説明いただいたのだが、割愛。


雛巡りの賑やかさもここまでは届いてこない静かな境内で、江戸時代には麓の下屋敷に城主以下重臣たちも降りてきていたそうだが、毎朝3時に、それでもちょっと離れたこのお寺まで祈祷に来られていたという、歴代ご城主を想像していた。

西国大名の備えとしての位置付があったとはいえ、非常に不便を極めた山上の城を与えられ、祈祷の頼みがいがある由緒のあるお寺は、山の麓・・・。植村新六郎殿(間違えてました 汗)、譜代とはいえ、大変だったねぇ。現在の町長は、その植村家の何代目かの(忘れた)御当主だそうです。