行ってきちゃったよ、越塚御門古墳

実は前日、忘年会だったもんで(またの名を11月お疲れさん会とも言う)、本日はたいそうな寝坊をしてしまった。ボケーっとニュースを見ていると、えらい人だかりの、だけど、どっかで見たことのある場所が映し出されていた。


牽牛子塚古墳入口。鍵かかって入れません。ちなみに、ここは私有地だそう。

それは、越塚御門古墳の現地説明会であった。今年9月に大発見となった牽牛子塚古墳を埋め戻す作業をしていた際の「ダメ押し発掘」で発見された終末期古墳である。日本書紀によると、斉明天皇、間人皇女の墓の前に大田皇女の墓を造った、とある。牽牛子塚古墳が八角形をしていたことがこの9月に発表され、この古墳が斉明天皇を葬ったとされるお墓ではないか、という推察がなされたが、それを裏付ける古墳の登場である。

行かなきゃ。あわてて支度をして、飛鳥駅まで。通常は車を使用するが、ここらへんは非常に狭い道が多い。加えて、駐車場の規模も不明だったので、今回電車。駅から近いしね、ここ。


牽牛子塚古墳の少し下、前面にある。日本書紀のとおりだ。画面左上の白いのは土嚢。

使用された石は、この付近にある貝吹山で採れたもの。大半が欠損しているが、奥の壁の上部が若干丸みを帯びているのがわかるかな?おそらく、ドーム状になっていたのであろう、とのこと。漆膜片が出土していることから、漆塗木棺が埋葬されていたのではないか。造られたのは7世紀後半ごろだろう、とのことであった。惜しむらくは、盗掘やら、石取り(ここらへんは、優良な石材が採れない。おそらく何か別の建造物を造った時に使用されたのでは?)で、墳形やら規模やらが不明なこと。うーむ、残念。


牽牛子塚古墳から見た、明日香。下を写せば、人・人・人なので・・・。

地元の方が、案内整理係をされておられた。「昔はねー、ここらへんで虫とりをよくしたんだよー。いろんな人が調べに来てたけど」ですって。待ってる間、シジュウカラやらヒヨドリやらがピヨピヨ鳴いていた。ごめんよー、おじゃまして。ここらの古墳の常として、少し小高くなっていて、ぱっと見たところ、里山っぽいかんじに見える。こんな大発見がされるまで、きっと斉明天皇、間人皇女、大田皇女は地元の方々をあたたかーく見守っておられたに違いない。


疑問。なんで越塚御門古墳という名なの?所在地が明日香村大字越小字塚御門だから??