私的ビフォー・アフター〜興福寺阿修羅像の場合

コンタクトを交換に眼科へ行くことに。その眼科は奈良市内にあるので、ついでといってはなんだが、午後の診察まで時間があったので奈良国立博物館へ行ってみた。

今回の特別展のお題は「仏像修理100年」である。修理といっても色々な修理の方法がある。生じてきたゆがみとか隙間を埋める修理、長年の月日で欠けてしまった所を補う修理、過去の修理で足されたものを取り除いてオリジナルに戻す修理、何もかもすっかり元に戻す修理。どの修理の前にも綿密な修理図を書いて、どこを修理したかを記録しながらされるのだが、まー、細かい!修理できたんだから、それでいいやんって素人は思うのだけれど(私だけ?)、後世の人に「ここを修理した」っていうのを知らせないといけないとか。木とか漆とかなんだとかで造っているから、後々必ず修理せねばならぬ時が来る。その時のためだそう。
そんな資料にあふれる、ひじょーにアカデミックな雰囲気の中、「ほー」とか「へー」とか(心の中で)呟きながら見ていると、視界になにやら朱色のものが見えてきた。それが、コレ

もちろん内部は撮影禁止なので、正面入り口のポスターをパチリ。阿修羅像の模造です。えぇ、興福寺の。昨年でしたか、東京国立博物館でン十万人を動員、「仏像ブーム」とやらを引き起こした張本人。元はこんなお姿だ、というのをどうも奈良博が昭和56年から60年にかけて製作されたようです。
そりゃね、元はそうだっただろうよ、元は。東大寺の大仏さんだって元は金ぴかだったし、その東大寺だって今の大極殿に負けん位ハデハデだったようだし。そんなテーマの雑誌も発売されてて「きゃー、オモロイ」なんて読んでたけどね。でもね〜、2次元で見るのと3次元で見るのとはエライ違いだわ。思いっきり「戦いの神」であったという過去をほうふつとさせる出来栄え。見てるこちらもなんか複雑、しかもひげついてるし(仏なら当然)。だがもっと驚いたことに、ショップでは、この元ヤン姿の絵葉書が売り切れていた。さすがというか、なんというか。

複雑な気持ちになったので、そのままお隣の興福寺国宝館になだれ込む。リニューアル後、初。コンクリートの箱の中に無造作に展示してあった、リニューアル前とはえらい違いの国宝館。そんな中、相変わらず大勢の人に取り囲まれて、仏界のスーパーアイドルは憂いの表情でおわしました。

そうよね、そうこなくっちゃ、と思う現代の私。でも、この阿修羅を造った人は何を思って、何を託して造ったんだろう。期せずしてビフォーアフターなお姿を見たので、いつも以上に妄想してしもうたよ。あっ、興福寺さん、今年も仮金堂で「お堂で見る阿修羅」をなさる気はありませんか?あれは、興福寺さんでしか出来ないことだと思うんですけど。平城遷都だし、今年も是非お願いいたしますm(__)m

p.s これだけ阿修羅で盛り上がりましたが、肝心のコンタクトに関しては、なんとその日は午後から休診日でした(涙)どないよ、コレ。

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