ようやく、丸亀城へGO!の巻

念願の若冲の「花丸図」も見てたいへん満足し、金毘羅大芝居「金丸座」も見ることができたというおまけがついたところで、JRにて丸亀駅へ。

おぉ、のぼりに市川亀治郎様のお名前がっ!こんなところで「御屋形様〜」に会えるとは!って、風林火山の見すぎです、失礼。


丸亀駅に着いたところで、「丸亀城の見どころ」なる資料を発見。もれなくいただき、駅前mapにて道順を確認する。その資料によると、標高66mの亀山に築かれた平山城とあったので、少々ホッとする。なんせ、1368段の階段で膝笑ってるからね(汗)

丸亀城は、天正15年に讃岐に17万6千石の領主として生駒親正が入部し、慶長2年から築城に着手。慶長7年に完成したが、一国一城令により廃城となった。その後、生駒氏が所領没収の上転封となり、寛永18年天草郡富岡城主、山崎家治が西讃岐5万石の領主となり、この丸亀城を再築。この時、城の再建や改修の時に幕府に提出されたものと言われる、檜材で作られた木型模型が、丸亀市立資料館に保管されている。現在、私たちが見ている城郭はほぼこの時代のものとか。その後、山崎家が絶家となり、万治元年京極高和が6万67石にて丸亀藩主となり、明治の廃藩置県を迎える。

重要文化財である大手一の門をくぐると、「見返り坂」。

そして、ここから「石の城」と言われる、美しい石垣が次から次へと現れる。



いただいた資料を見ながら石垣をひとつひとつ見る初心者。時期的に緑に覆われる時ではあるが、行った時は、地元の方が草を刈るなどお掃除をされていたので、比較的見やすかった。地元の方、ありがとうございますm(__)m

その中で、ちょっとツボにはまったのがコレ↓

この枯れ木は、なんの木だったんだろうね。ここまで、大きくなるって、根性あるなぁ(笑)

丸亀城には、重要文化財の現存木造天守がある。膝は笑うが(しつこい)天守があれば、登りたくなるのが人情。当然、登らせていただいた。
3層3階の眺めは、ブラボー。瀬戸内海や讃岐富士を眺めて、しばし御満悦。


おっかなびっくりで階段を下り、月見櫓跡から鯱を持参の双眼鏡で眺めていると、鳩にエサをやっていたおじさんから「なに見てるの?」
「鯱です」「へーぇ、写真には撮らないの?」「望遠ないんで、ムリなんですよー」「そりゃ、残念だねー」えぇ、残念、とっても。
だけど、海のない奈良県民としては、城址から美しい瀬戸内海が見えるっていうのが、とてもうらやましい。

石垣と天守と海に満足して、ちょっとした脇道やら、小道やらを見つけてはぶらぶらと下城。こんなものを発見。

これは、吸い殻入れ。歴代丸亀藩主の紋。上から生駒家、山崎家、京極家。他にも、丸亀名産の団扇の絵柄のものも。こういうの、楽しいね。


というわけで、職場の皆に、とってもあきれられた「琴平で若冲花丸図を見よう」弾丸ツアーはこれにて終了。お分かりかとは思いますが、日帰りです(爆)


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