春岳院〜大和郡山を歩こう
最近、観光に来られたであろう方々をお見かけするようになりました。歴史ブームの影響??
まぁ「城下町map」なるものも、駅前にありますしね。
というわけで。
秀長は、100万石でここ郡山城へ入部。城下に商工業者を集中させ、営業権独占を許可、地代を免除し、郡山発展の基礎を作ったと言われています。
秀長の時代に町衆の自治組織「箱本」制度ができあがります。
営業権を独占した内町13町が、治安、消火、訴訟、藩からの伝達、株仲間の統制などを掌握し、各町が1カ月ごとに持ち回りで世話役に当たったと言います。
箱本とは?
御朱印箱のことで、地子銭免除の書状など3通の文書を収めた箱のこと。
春岳院近くの紺屋町に、その名残を見ることができますよ。
紺屋川が流れ、名前の通りこの町は藍染めの町。この町以外での営業は認めないという秀長の特許状も残っています。
箱本館(旧奥野家)は、そんな江戸時代からつづく紺屋。この一帯は家並みも揃
っていて、城下町らしさがあります。
そして、おいしいものも!
本家菊屋さんの「お城之口餅」!!きな粉がこうばしくて、うまいんだ、これが(笑)
秀長の茶会の時に出されたこのお菓子を、秀吉がたいそう気にいって、この名前になったとか。本家菊屋さんの店がまえもいいですよ〜。時代劇に出てきそうなかんじがします。
秀長が、ここ郡山にいたのは6年あまり。
生前も、秀吉が一番信頼し、温厚で誠実な人柄であったと伝えられています。
墓所である大納言塚にお参りされる方もいらっしゃるし、今だに慕われていると思います。なんてったって、復元された追手門には、五七の桐が燦然と輝いておりますもの。