古代への旅〜その2

第2展示室は、そのほかにも藤の木古墳の出土品があり、発見当時の事を思い出しながら見学。説明の看板を見ながら「そうだった、そうだった」とつぶやく、あやしい私(汗)
第3展示室は、木簡が登場、一気に歴史の時間を思い出す。

古代史なり、埴輪なりに詳しい方から、私のようなド素人までお相手しなければならない、ガイドさんたち。ありがとうございました。

次回は、平城京発掘だそうで。(そりゃ今年は遷都1300年だもの)次回は、是非講演会にも、参加したいものと思った次第。


で、このあとは?ということで。

やっぱりここまで来たんで、お参りを。

橿原神宮神武天皇を御まつりしております。今年は、紀元2670年だそう。
このことを言うと、ウチの親は必ずと言っていいほど「きげーんは、にせーんろっぴゃくねん♪」という小学唱歌を歌います(苦笑)最後までは歌ったためしがないけれど。ちなみに、2月11日は紀元祭です。
京奈和自動車道を走ることも考えたけれど、博物館でお話聞いたし、せっかくだから、と旧国道24号線を北進することに。


大神神社。右にチラっと見えるのが、巳の神杉。ワタクシうっかりして忘れましたが、お酒と卵を御供えしてください。ご神体は、この神社の後ろに、雄大かつ優美にそびえる三輪山。私としては、パワースポットだと思っているんだけど。
ここに来るたび
「やまとは国のまほろば たなづく青垣 山籠れる やまとし美るわし」
が頭をよぎる。
(余談ですが、私の車のお守りもこちらで頂戴いたしました。車は現在3代目ですが、お陰さまで無事故です。)

そして、こんなお茶目な看板が!

裏面は「邪馬台国の里へようこそ」だったかな?邪馬台国九州説の人が見たら、怒られるぞー(笑)

なぜそんな看板が?それは、ここに纏向遺跡と、そして

箸墓古墳。前面は、水が干上がっておりますが、池。もともとは、古墳の周りは堀になっていたんだとか。陵墓のため、立ち入り禁止。そう、入ったら警察が飛んでくる(はず)。

この箸墓に葬られているのは、倭迹迹日百襲姫ということになっている。が、邪馬台国畿内派は、卑弥呼の墓であると主張。この古墳ができた年代と大きさ(かなりデカい)そして、なにより昨年末の纏向遺跡の発掘が大きい。ここを調査したら、何かがわかるはず。でも、陵墓。ぜーったいに足を踏み入れてはならない。
んなこと言ったら、ここらへん古墳だらけの陵墓だらけ。神聖な眠りか学術か。もうそろそろ、論議してもよかりそうなものと思うのは、これまた素人考えですかね。

三角縁神獣鏡が出土された黒塚古墳の展示館も、この先にござる。
平城遷都だけど、古代史から続いているのがわかる一帯。色々想像力働かせて、これからも楽しみたいと思っているところ!!
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