私の城下町

今年もですね、JR西日本さんが戦国スタンプラリーというのをされておられます。前回はたしか、筒井順慶でエントリーした大和郡山城、なんと今年は豊臣秀長(秀吉の弟ですな)でエントリーしております。やっぱ、大河ドラマが「江」だし。土、日ともなると(スタンプ設置が土、日なのだ)結構スタンプを押しておられる方を目撃しますね。みなさん、満喫されたかな?

奈良に観光に来て、お城とか城下町というのは、あんまりイメージわかないでしょうが、ここ大和郡山市は城下町でもあるんですね〜。

豊臣秀長公ゆかりの地も、色々とありますし。そんな中から、チラっと。


まずは、本家菊屋。ここのお菓子「御城之口餅」は、秀吉を招いて茶会を開いた時の、お茶菓子でありました。名前の由来は、お城の入口(大手門前)付近にお店があったから。


春岳院。秀長の菩提寺です。


源九郎稲荷神社

義経が吉野に落ちのびた時、稲荷神のお使いの白狐が化けて、静御前義経の元に送り届けたので、義経が深く帰依し源九郎の名を贈ったから、という謂れがあります。ではなぜに、吉野から郡山にこのお稲荷さんがお越しになられたのか、というと、豊臣秀長の夢枕に件の白狐が立って「守護神になろう」と告げたので、この地に稲荷神社として祀った、ということだそうです。

で、その源九郎稲荷神社の近辺には、格子のこんなお家がございます。旧川本邸。


この付近は昔遊郭があったところで、路地に入るとこんな建物がいきなりあったりなんかする。ここは木造三階建てで、窓がハートなのー。写真撮ってないけど(笑)

お城がある、ということは、八幡神社がある(八幡神は、武運の神)、ということでもあります。ここが郡山八幡神社
縁起によると、聖武天皇の勅命により(←奈良ってフツーにこういう文言が出てくる。)天平勝宝元年に鎮座されたと言われています。武運の神様なので、当然歴代大和郡山城主の保護を受けているのだ〜。


その近く、というか道路を挟んでとなりに、旅館花内屋があります。で、この道路というのが、伊能忠敬が通ったそう・・・。おっきな分度器を引っ張って、歩いたんですかねー。城下町だから、歩きやすかったかしら?なんて。


城下町ってね、きっちり東西南北に道は走っているけれど、けっして素直にお城に行きつける、ということはないのですよ。道は微妙にカーブしているし、町人地区の区割りは細かくて、武家地区は結構広めで、とか。もちろん、当時の建物とかが全部残っているわけでもないのだけど、なんとなく歩くより、町名を見ながら想像して歩くのも、ちょっと面白いかも。