秘仏御開帳〜愛染明王編@西大寺

大きいお茶碗でお抹茶を頂くという「大茶盛」で有名な西大寺さんで、愛染明王坐像を特別開帳をされているので行ってまいりました。愛染明王とは「恋愛・家庭円満」をつかさどる仏様といわれていて、身体は真紅に彩られた一面六臂で、頭上には獅子の冠を頂き、蓮花の上に結跏趺坐のお姿で表現されている。


称徳天皇が、764年に鎮護国家を祈願し建立したとされる西大寺は、創建当初の敷地面積が東京ドームが7つ(だったかな?)入るほどあったそうな。発願となったきっかけが藤原仲麻呂の乱で、金堂7尺の四天王像を造り祀ったのが始まり、とされている。普通お寺を造る時は、金堂を建立して御本尊さんを祀って・・・、という順番なんだって。それが、国家を護るという四天王が先、というのが、西大寺建立の特異性を表わしているのだとか。ふーーん。

残念ながら、火災やら自然災害やらで寺運が衰退。現在は、かつての大きさの十分の一(だったかな?)位になっている。創建当初からのもので、残っているのはなんと、その四天王のひとりである増長天が踏んづけている邪鬼なんだと。その邪鬼は、というか四天王は、四王堂で拝むことができる。


で、本日のメインは、この愛染堂で公開されている秘仏愛染明王であーる。
この愛染堂は、1762年に京都の近衛政所御殿を移築したものと言われ、この愛染明王像は、西大寺中興の祖、興正菩薩叡尊の念持仏で、普段は厨子の中に大切に祀られていて、一般の目に触れることはない。公開時以外は、江戸時代にこれを模写したお前立ちの愛染明王を拝むこととなるのだ。秘仏として祀られているので、色も鮮やかな真紅が残っており、とても綺麗な仏様なの。そういえば、直江兼続の愛の前立ては、愛染明王から来ているという説を読んだことがあるけど。兼続の場合は軍神としての信仰だろうか。この西大寺に伝わる愛染明王も、元寇の役の時に叡尊が祈祷した愛染尊勝法の本尊となり、結願の夜に明王が持つ蕪矢が妙音を発して西に飛び、敵を敗退させたという。(西大寺縁起)


西大寺がどれほど大きかったのか、を象徴するのが、東塔跡。


東塔跡から、本堂を望む。

東西に七重塔が建っていたそうだが、いまや東塔の跡しか残っていない。この塔は当初八角形の七重塔にする予定だったとか。ところが実際に建ったのは、礎石を見る限り、普通の塔であったとされている。どうやら、予算が・・・であった模様。
真上から眺めると、当初の八角形がわかるようになっている!そうなんだけど、いかんせん、そんな高い位置から眺める処なんぞ、ここらにはござらぬ(笑)愛染堂から、見るのが一番よくわかるのかなぁ。
そこここに、残っているかつての大伽藍の残り香を見ていると、両親(聖武天皇光明皇后)が建てた東大寺に匹敵する大きさの寺を建立し、鎮護国家を祈願する姿勢をアピール、女帝だからとあなどられることのないよう、称徳天皇としては気を張る毎日だったのかもしれないねぇ。


最後に、同時期に公開されている聚宝館にて、西大寺に伝わる宝物を見学させていただく。見終わって出てくると、本堂前に、かわいいお子ちゃまたちが集合していた。敷地内にある西大寺幼稚園の園児たちのようである。ちっちゃい手と手をあわせて「しあわせ〜。南ー無ー」。

そんな園児たちを見て、おばちゃんも、一緒に「まんまんちゃん、あん」。


最後に、その本堂の踊る(?)お獅子の瓦。

なんか、意味はあるのだろうかね?