彦根城へ行ってきた〜彦根城博物館の巻

今回のアフター霊場巡り。近江八幡か長浜か、出発前の候補はこのどちらかのはずだったのだが、水を補給すればそのまま汗になるこの暑さ。思わず駅前の銅像を見て決定しました。


「そうだ、彦根城に行こう!」

駅前の観光案内でチラシ等を物色し、まずは彦根城博物館へ。彦根のスーパー広報担当の看板がお出迎えしてくれる。


この日は、ホンモノはお休み。どうりで静かだと思った(笑)

彦根城は去年の秋にも行ったところなのだが、彦根城博物館の展示内容がたいそう気になったというのも理由のひとつ。テーマが戦国だそうで今回は「激動の佐和山城〜郡雄割拠の時代」である。7月30日から8月31日までの「激動の佐和山城石田三成の時代」もかなり気になるのだが。今回は郡雄割拠の方で。
いただいたレジュメ。色々参考になります。

佐和山は、北には入江内湖、西には松原内湖が広がり、中世の東海道と下街道の両方を掌握できる場所に位置している、古来より戦略上重要な山であった。この佐和山城を巡っては戦国時代、江北の京極氏、浅井氏と江南の六角氏とが衝突を繰り返し、信長が上洛への足がかりとすべくこの争いに加わることになる。佐和山城は、信長にとっても岐阜と京都の中間地点に位置する戦略上重要な場所であった。
展示内容は、彦根の古絵図やら合戦図、六角氏の感状、浅井長政の下知状など。江南、江北の境目の城であったところから、地域勢力の佐和山城を巡る争いを経て信長の近江進出までとなっている。

ところで、次回の「石田三成編」の展示も気になるところ。行く気マンマンですよ、ヒストリアも見たことだしね。徳川幕府としては勝者としてネガティブキャンペーンをしたんだろうけど、結果としては三成の治世の実績の方が上回っていたというところか。壊されたお墓をわからないように修復してお祀りしたり、戦の折り肌身離さず持っていた観音様を大切に保管したり。近江の人々を大切にしたからこそ、三成もまた近江の人々に今でも大切にされているのだということが本当によくわかる番組であった。
しかし、いい時代になりました。勝者によって捻じ曲げられた事実が、本当の姿を現すようになったのだから。

というわけで少々脱線したところでこちらも世界遺産暫定リストに載っている、国宝彦根城は次で。
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