勝ち運の寺〜勝尾寺

龍馬であるとか、飛鳥であるとかに、かまけておるように見えるでしょうが、札所めぐりというのも、細々とつづけておりまして。

今回は、第23番札所 応頂山勝尾寺でございます。

場所はというと、大阪府箕面市にあり観音霊場の中でも、比較的行きやすい所にある。日本の滝百選の箕面の滝やら、天然記念物のお猿さんが有名である。余談だが、この箕面の猿、日本で一番ずるがしこいんじゃなかろうか。お菓子の入ったカバンだけを狙うし、自動販売機で飲み物を買おうものなら、缶が落ちる音とともに現れて、人間が手放すまで離れない。エサやっちゃ、ダメですよー。

もみじが綺麗。秋になると紅葉の名所としても、有名なところ。

話戻す。本尊は十一面千手観世音菩薩。寺の名前の由来は、行巡上人が清和天皇の病気平癒の祈願をし、その効験があったことから、「王に勝った寺」ということで「勝王寺」の名を賜る。が、寺側が恐れ多いと王を尾に変え、勝尾寺となった。以来勝ち運を祈願し、人生すべてに「勝つ」寺として、勝ち運信仰を集めている寺なのだ。

だるまの根付け。普段は、定期入れにつけている。リンリンと中々いい音を鳴らしてくれる。
本来の勝ちだるまは、願いごとを念じて片目を入れ、願い事が叶うともう一方の目を入れて、お寺に奉納するというものだ。

本堂は、豊臣秀頼淀君が再建したもの。他にも、日本三荒神の一つ荒神堂や、浄土宗の開祖法然上人が、四国に流された後、帰京するまでの4年間を過ごしたという二階堂などがある。

お参りが終われば、箕面の滝に寄るのは定番なれど、もうひとつあるんだよね。市街地に、赤穂浪士の一人、萱野三平の旧宅があるのだ。
彼は、藩主浅野内匠頭の松の廊下の刃傷の一報を、早駕籠で赤穂にもたらすのだが、その時偶然にも、母親の葬儀に出くわす。母に会うよりも、「お家の大事を知らせることが使命」と、涙ながらに振り切り、江戸から4日で赤穂に帰ったというエピソードがある。お家断絶後、父の「別の家(吉良との間柄が深い)に仕官せよ」との命と、仇討を画策する同志との間で板挟みになり、主君の月命日に大石内蔵助に遺書を書いて自害した。

晴れゆくや 日ごろ心の 花曇り

仮名手本忠臣蔵」では早野勘平として、忠臣蔵のドラマでも、内蔵助を討ち入りへと導く役どころとして、必ず登場する。現在旧宅は、記念館となっている。今時忠臣蔵でもないんだろうが、27歳の若さで忠義と孝行の狭間で、死を選んだ一人の若者の生きた証を見るのもいいんじゃないか。ちなみに、「萱野」はこの地区の地名でもある。

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