平城京はこんなに大きい〜平城京羅城門跡

いつものお散歩コースである、大和郡山城址もいいんだけど。やっぱり遷都1300年なので、平城京にまつわるコースにしてみた。ちょっと省略バージョンです。(本当は九条あたりまで、行かないとあかんのだ)

佐保川の土手を歩いていくと・・・。

カラスノエンドウがびっしり(笑)サヤで笛作ってピーピー鳴らしていたなぁ、と思っていたら、近所のお子ちゃまたちがやっていたのを見て、びっくり。今でもするんだね。

北へ歩くとですね、橋(その名も羅城門橋)の高架下の所に、こんな案内がある。

そうです、ここに、正確にいえば佐保川の堤防の下に、羅城門跡がある。なんと羅城門の礎石は、大和郡山城の天守台に使われている。

羅城門とは?平城京の中央を南北に通る朱雀大路の南端にあり、玄関口となった正門である。ちなみに、芥川龍之介の「羅生門」は、ありゃ平安京。羅城より南側は京外になる。

門の規模は桁行五間(約25m)、梁間二間(約10m)、重層入母屋造り瓦葺の朱雀門(復元されてますね)とほぼ同じという説が定説だが、最近では門の正面は七間(約34m)ではないか、という説も出ているとか(大和郡山市の資料より)で、その正面七間の説に基づいて作られたのが、この復元模型だっ。

やまと郡山城ホールのエントランスにあるんで、よければ見に行ってください。かなりの迫力もんです。(実物20分の1の縮尺)

その羅城門橋から北の方角を見ると、復元された朱雀門大極殿が見えるそうなんだが・・・。


見えん!てか、見えたためしがないんだけど(笑)夜の方が、見えるのかな?って思ってたら、昨日配布された市の広報誌の表紙にうっすら写っていた。失礼。

どうやら、平城宮跡には大勢の方がお越しいただいているようで、地元民のはしくれとして、ありがたいかぎり。あの跡地だけでも、平城京は広大な都であったことがしのばれるのだけど、復元なった朱雀門から南の方角に目を向けて、ちょっと妄想してみていただきたい。

今の奈良市を突っ切って、大和郡山市までまっすぐ一本の大きな通りがはしっている。それが朱雀大路だ。唐や新羅使節団を、南の羅城門でお出迎えし、平城京大極殿までお連れする。右京には薬師寺唐招提寺が、左京には大安寺が見えるはず。二つの官営市場、西市、東市もにぎわっているだろう。富本銭も出土され、貨幣経済になっていたことがうかがえる。西市周辺には、漆や金属加工の工房跡もあり、海外からの物だけではなく、国産の品物も豊富にあったことが推察される。そんなにぎわいを見てずっと北へ、朱雀大路の終点が平城宮、そして大極殿(復元されている)だ。使節団御一行は度肝を抜かれたか、「真似しやがって」と思ったか。

復元された大極殿朱雀門などを見て、当時に思いをはせるのもいいけれど、それだけじゃあ、ちょっともったいない。あの時代、一か八かの航海をし、背伸びしてまで多くの文化を吸収しようとした、人々の功績、思い、生きざまを、せっかくなんだからちょっとでも感じてみるのもいいかな、って思うんですが、いかがですか?

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