松島へGO〜松島や 鶴に身をかれ ほととぎす  曾良 

高校生の頃、古文の時間があって、よく暗誦をさせられた。もちろんその中に、芭蕉の「奥の細道」が含まれていたのは言うまでもない。
「月日は百代の過客にて ゆきかう年もまた旅人なり」というやつである。覚えているのは、このとーっても有名な前文と、なぜか「三里に灸すうるを白河の関を越えんと欲す」という中ごろにある文章である。その頃から、いつかは白河の関を越えん、と思っていたのだろう。ようやく念願かなって、今回白河の関を越えたんである。(前回は行ったのは、鶴岡。)越えた!といっても、飛行機。高度成長時代に生れ育ったので、情緒もへったくれもないんである。

大阪国際空港から、まずは仙台へ。そのまま、最終目的地である米沢へさっさと行きゃーいいのだが、乗り替えるための待ち時間いうのが少々あった。ここで貧乏精神がむくむくと頭をもたげる。つまりは、行ったからには仙台方面も楽しもうじゃないの!というやつである。そこで「奥の細道」。芭蕉が詠んだという(ほんまかウソかわからんが)あの「松島や ああ松島や 松島や」。民謡にも出てくる「瑞巌寺」がある松島。調べてみると、仙台空港から電車で40分。行ける!!というわけで、松島に寄り道。


着いた時は、晴れていたのに、この曇天。覚悟はしていたけれど、寒い!4月だよ〜!!芭蕉が「予は口を閉じて眠らんとして寝ねられず」とまで興奮した日本三景を堪能することなく、早々に瑞巌寺へと移動してしもうた。

現在、瑞巌寺本堂は7年ほどの年月を費やして、解体修理中。で、そのかわりといっては何なんだけど、陽徳院御霊屋(政宗正室愛姫のお墓)、庫裡(国宝)を見せていただけることに。

登竜門を見物しているとふと見えたのが

臥龍梅。確か、政宗が持ち帰ったんですよね?ガラス越しなんで確認できないが、おそらく、ふくいくとしたよい香りがしているはず。この梅の右側に本堂があり、大量の瓦が置いてあった。

大書院にて、御本尊さまとともに、歴代藩主の御位牌を拝見。もちろん政宗公のものも。間近で見るとド迫力。なんでも、通常はもっと後方にあるそうで。「檀家のアタシラでも、なかなかこんな近くでは見れないんだよ」とは、庫裡入口にいらっしゃった方。「どっから来たの?」「奈良です」「ほー。わざわざ。まだまだ見るとこ、あるから。陽徳院さまのとこ、行ってきなさい」

陽徳院御霊屋は、伊達政宗公御正室の愛姫の墓堂で、孫の綱宗によって造営された。宝形造、銅板葺に匂欄つきの回廊をめぐらし、正面に向拝と木階をそなえ、外面すべてが黒漆で塗られ、桟唐戸や蟇股は金や極彩色に彩られている。平成18年から3年かけて創建当初の姿に復元したとか。写真厳禁。いやはや、おすすめしていただいたとおり、綺麗で見事なものでした。

宝物館も拝見し、境内を散策。うっそうと木が茂る参道をゆくと、西国三十三ヵ所の観音様をお祀りしてあるところに行きあたる。と、そこはなんともいえない霊気が。関西地区のお寺を見慣れている者にとっては、やはり少々違う雰囲気を感じとまどってしまう。直前まで迷っていたが、思い切って行ってよかった。

ちょっと思ったことがある、それは修理中の本堂。かけられていた覆いに書かれていたのは、超大手ゼネコンの社名である。国宝の修理だ、大変気をつかうことも、名誉なこともよくわかるよ。でも、この背筋が伸びるほどの霊気を漂わせる古刹にきて、ゼネコンの社名はないだろー。もうちょっと、工夫していただけたらと思った次第。おっきいんだからさ、あなたの会社、そんなに宣伝しなくても。いや別に、ゼネコンになんの恨みもないんだけどね。

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