周山ぶらぶら

京都から高雄、栂ノ尾、槇ノ尾を通り抜け小浜街道をずーっと福井方面に走ると、周山がある。別名鯖街道といって、海から離れた京の都に、蛋白源となる小浜で採れた鯖を運んでいた、昔から重要な道でもあったのだ。
林業が盛んで、きれいに枝ウチされた北山杉におおわれた集落である周山に山城がある。それが、周山城。
亀山城主であった明智光秀が、ここ丹波地域を治めるために築いたお城。小さい頃に、歴史好きの伯父に連れられて登ったことがある。未だに印象に残っているのは、井戸。その時は、さして重要だとも思っていなかったのだが、本当は石垣がすごいのだ。地元の人間である伯父にしてみれば、石垣は見慣れている光景だから、歴史に興味を持ち始めた姪っ子(私のこと)に井戸の重要性について語りまくったからかもしれん。今回、母が同行者だったので登ることは断念。周山が一番きれいだと思う、緑豊かな季節に久々に登ってみようかと思っている。
明智光秀と言えば、もうひとつゆかりのお寺である慈眼寺(曹洞宗)が。ここには、明智光秀の木像と位牌があるのだ。もともとは、川向にあった密厳寺にあったものだが、廃寺に伴ないこちらに移されてきた。光秀を慕う村民が祀ったといわれるこの光秀像は、逆賊の汚名を着せられていたため墨で黒く塗られ、桔梗の紋も隠され、腰の刀や金具ははずされている。肖像画の光秀とは違い、かなり厳しい武将としての表情を見せている木像である。
ちなみにこの木像、頼めば見せていただけた。あたしゃ、前述の伯父が頼んでくれて、法事の時(檀家だからね)に見せてもらったんだが。今はどうか知らんけど。

光秀については、周山の伯父や母によると統治がよかった、とのことで評価は低くないのだが、これが山国出身のおじになるとトーンが落ちる。かの周山城を築いた時に、常照皇寺の衰退の原因となる、周辺の社寺を壊したからだ。聞いちゃいないけど、宇津出身のおばはどう思っているのかな?宇津城主の宇津頼重を討ったのは光秀だからね〜。でもこの三地区、そんなに離れてないんだよー。なのに違う評価をされちゃってる光秀。お隣でもある亀山ではどんな評価なのかな?ちと興味がある。

っつーことで母と連れもての旅なので、山裾の弓削川の桜を見物。

そして、おみやげにはお隣の美山町の美山しぐれとスゥイーツにした。

地酒「初日の出」を使用したお酒のゼリー。「おとなのお菓子」とは書いてあったような気がするけど、まんまお酒!冷やして食べると、おいしかったけど。地酒「初日の出」も、うまいっすよ。


出来たての周山城で、津田宗久を招いて月見をしたそうです、光秀。風流だね。

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