石垣山一夜城で、どやさっ

まず、最初に・・・。

この記事の内容は、すべて現地で私自身が感じたことであり、史実とはまーったく無縁でありますことを、ご了解いただきますよう・・・。

では。


一夜城と言われているので、私の脳内ではすっかり「墨俣一夜城」と、いっしょくたになっていました。


失礼いたしました!!関白殿下!!生まれも育ちも大阪人の私としたことが・・・。

こんな立派な石垣を築きあげてできた要塞。「一夜城」ってネーミングが悪いのよ!!と、逆ギレする私を、親切にわかりやすくご案内してくださるのは、前回に引き続きわが師匠マリコ・ポーロ氏。


サ「これだけすごいの作ってるんですよ、気付いてなかったんですかね?」マ「いや、気付いていたよ。きっと」

サ「そうですよね!!(ここで、なぜか勇気百倍になる私)。小田原評定って、”やばいよ、パパ。おサルがあんなの作ってる!!タヌ公に頼んでサ、謝りに行こうよ!!照オジの言う事ばっか、聞かないでさー。”とか言ってたのかな??」マ「やっぱりね、ほら、色々と人には立場とか、今までの経験値とかあるじゃない。それぞれに部下だっているんだから。そういうのが、複雑に絡まり合うのよ。今の社会でも通じることだよ」

サ「そっかー。”照オジ、カゲキだよ!!照オジの周りなんかすごくない??規オジの方が話わかると思うんだけど”とか、そんな感じですかね?」マ「(苦笑)じゃあサ、政パパは何て言うの??」

サ「そこ。そこなんですよねー。マリポロさん、どう思います?」マ「・・・。じゃ、ここ登るよ。」

あまりにもおバカな発言をする私と、当方のあまりのアホさ加減にあきれ返って、ずんずん進むマリコ・ポーロ氏。



どうやらここで、関白殿下と同じく「どやさっ!」としたい大阪人は少なくないようで(マリポロ氏談)、そういう方には普通のハイキングコースではなく、本来の道(ぱっと見は、カゲにしか見えない)を教えてさしあげると、喜んで歩かれるとか。でも、ちょっとわかりにくいの。残念。

当然私も案内されてそちらに。すっかり気分は、細川か、前田か、はてまた長束、増田か。


井戸を見て、天守台を見て、とても綺麗に整備されている本丸(?)に行き、でもなぜかカメラは箱根方面を・・・。

「あっ。あれ、烽火じゃないっすか」「えっ。何、なんて??」
「えーっと、岡西のおはぎは要チェック(by高村氏)」「それよりさ、箱根湯本からは富士山は見えないよ、じゃない??」


ワタクシ、お楽しみは、後にとっておくほう。なので・・・。
あっ!その前に、レンズを交換。「大池からの薬師寺東塔」を撮るために購入した、望遠レンズを装着!!


いざ!

どやさっ!!

見える!小田原城下が丸見え。そして、早川の港も。(当時ここに港はない)


よくドラマでありますよねー。布を取ったら「おおー。なんじゃこれは!」「オヌシの命運も、もはやこれまで〜」(←なんか、違う。)って。


今まで、小田原征伐は、豊臣政権へのリトマス試験紙だとばかり思っていました。一面はそうかもしれない。でもその実、豊臣政権も試されていたのかもしれません。だから、殿下はこの地を選んだんじゃないのか。相手の動きを見るとみせかけて、威信をかけて寄せ集めた自軍の動きもすべて一括して把握できる場所。そこが石垣山。



帰る道すがらぶらぶらと歩いていると、右目の視界に入る早川の港を出て行く、一隻の船。
「あの場所は毛利だよね」「村上水軍へのレンタル料が思ったよりかかったから、帰ってもらうんです」


ドラマティックな場所ですなぁ。行ってよかった。出来れば、駅前の案内板をもう少し観光客に配慮していただければ、なおgoodかと・・・。あくまでも、お願いです、お・ね・が・い。


こんなアホ話より、もっとドラマティックな、真面目な話が知りたい??そうですよねぇ、その通り!!

我がお師匠さまのブログ、マリコ・ポーロ氏のブログマリコ・ポーロの後北条見聞録。こちらにて、後北条とは??ということをぜひ知って下されい。

そして、もうおひとり。
石垣山の考察が大変勉強になります。これを読んでから、ぜひ史跡石垣山一夜城へ行ってくだされい。
高村氏のブログrek-歴探-


今回も、最後まで御つきあいくださり、感謝でございますm(__)m