色々と考えていた

ブログをお休みしている間、アホで、のんきものではあるけれど、それなりに考えていた。

その一

いつの間に、原子力発電は「クリーンで、安全」なものと言われるようになったのか?

私が小学生頃、原子力発電所の建設が各地で盛んに行われていた。未だ終息の見込みが見えない福島原発もその頃だ、確か。当時通っていた小学校の担任以下、とてもこの「原子力発電」というものには反対していたので、授業などでいつも危険性と、私たちが大人になったころ、今建設されている発電所は使い物にならなくなる、ということを聞かされていた。当然、世の中も、反対運動が非常に盛んであったし。その時、小学生の私の頭にインプットされたのは「原子力発電は、危険なもの」というものであった。

それがいつの間にか、全国各地に多くの原子力発電所が出来てしまっている。CMではさかんに、「クリーンで、安全」な電力であると唱えるようになった。これまでも事故は多数あったのに、あの時のような大きな反対運動もおこらず。粛々と原発は建設されていった。

いつの間に、原発は安全となり、私はそれを受け入れるようになってしまったのだろうか。そして、周りも携わるすべての人が「安全」だ、としてしまった瞬間に、備えを怠ってしまったのではないのか。

その二

現在稼働しているその他の原発の安全性のことが、大変気になっていた。新聞の受け売りで申し訳ないが、正直あまり芳しいものではない、というより、すべての外部電源が喪失してしまったら、という対策が脆弱である、ということであった。
福井県知事が海江田大臣に申し入れを行っておられたが、期限を決め、考えられるだけの対策をする。それも対策の前提とするのは、「○○が出来なくなった時、どうするか」であること。国は責任を持って各電力会社にさせるべきであろうし、その結果報告を国民に対し、しなくてはならないと思う。そのイニシアチブをとるのは国であるし、国が最終権限と、最終責任を負うものではないのか。

原発をやめるべきだ、という機運が高まっている。代替エネルギーへの政策転換を大きく訴えておられる方も大勢おられる。だが、今稼働している原発をすぐに止めたからといって、それで終わりではないんである。菅首相原発を凍結し、新しいエネルギーへの方針転換を述べておられたが、その前に、今ある原発の安全対策をどうするのか、というのが抜けていることへの不安を、私は常に持っているのだ。

その三

消費税増税論議が再燃している。復興対策に巨額のお金が必要であり、それをまかなうためには国債の発行もさることながら、税金を増やすことも必要なんだということである。
個人的には、消費税の増税は反対である。私は、とある小売業で販売員として、日常に使われる物から、生活にエッセンスを与えるものを販売している。消費税導入時には、まったく別の職種に従事していたので、あの時の混乱はよくは知らないのだが、税率がUPした時の駆け込み需要とその反動のすさまじさは、良く覚えている。税率がUpした当初は、本当に暇で暇で、まったく売れなかった。

この震災以後、私の住んでいる奈良地区でも、買い控えのような空気がしばらく続いていた。お客様からも「これを買うなら、募金するわ」と言われたことも数知れず。関西が落ち込んで、どうする!と言われていたけれど、どうしようもなかった。

でも、復興するためには、お金がいるのも事実である。負担しない、とは言っていない。だけど消費税の税率を上げてしまったら、今以上に消費が落ち込むような気がするのである。あくまでも気がする、だけど。だから、お金を集めるやり方を変えたら、と思うのだ。

初めは、投資する、という方法を思っていた。魚が好きな人は、漁協に、米や野菜や果物や、と思う人は農協に。投資した人は、いつまでも気にかけるだろうし、投資された方は、よりよいものを作ろう!と思うんじゃないかなーと。でも、金融法だか、投資法だかに引っかかるよな、と思い直した。それに、詐欺師集団に利用されやすいだろうし。
今思うのは、地域振興券みたいなもの。額面に対し、一割の上乗せをして、各都道府県で販売。出来れば、発行元で使用するようにし、その収益金はすべて被災地の復興費用に充てる、というものだ。これなら、お金が回るし、経済も停滞しないように思うのだが。


昨年訪れた松島。復興に今一生懸命頑張っておられる。少しでも、お役にたちたいのです。


被災地から遠く離れた関西の人間が、何をごちゃごちゃ言うか!!と言われる方もいるだろうし、何をのんきなことを、というご意見もありましょう。調べもせずに安直に、と言われることは重々承知の介でござる。

でも、いろんな意見や、思いを言うことも大事だと思うんですよ。だって言わなきゃ何も始まらないし、伝わらないでしょう。「原発が怖い」っていう所から、安全対策の一歩が始まるのであろうし。一方だけの意見ではなく、もう一方の意見もある。ここに述べたのは、私からの一方的な意見。頭ごなしに決めつけるのではなく、意見交換をしていくことが大切だと思っているのであります。