書道と古文書

先日本棚を整理していたら、こんな本が出てきた。


実は、高校の選択授業で書道を選択していたので、その時のものである。内容はというと、中国の石碑を拓本しているもので、虞世南の孔子廟堂碑や王義之の蘭亭叙なんかが載っている。
高校時代は漢文の時間もあったし結構好きだったんで、ある程度読めたんだけど、今はダメ。でもこの本を見ていたら、墨をすり、障子紙に無心で書いていたことを思い出した。

そういえば、その書道の先生の勧めで、古文書を博物館などに見に行ったことがあった。嵯峨天皇弘法大師藤原佐理本阿弥光悦の書を見て、感想文を書いたことがある。うろ覚えなんだが、たしか弘法大師の書がおおらかで好きだ、このような書を書きたい、光悦は芸術的すぎる、などとエラソーなことを書き記していたような気がする。
今では博物館で見ても、すっかり読めなくなってしまったのだが、古文書に触れるという機会を高校生の頃に与えてくださった先生には、今でも感謝している。

未だに弘法大師の書が好きで、美しい字を書かれるのは当然なのだが、見ているだけでおおらかな気持ちになる。もう、私にとってこの方を超える字を書く人は現れないと思っていたのだが。現れちゃったのだ、今年。


その人はというと↓上杉謙信公である。この写真に他意はない。

今年の春、米沢に行った時に出会ってしまった。近衛流の名手である謙信公の超絶なくらいの美しい字を!!とにかくキレイ、ため息が出るほど。で、そんな美しい字で書いてある内容はというと、武田信玄へのこれでもか!というくらいの悪口(笑)いや、その字で、そこまで書かいでも(爆)
手本に出来るくらいの字と、書かれている内容のあまりのギャップに、噴き出すのをこらえるのに必死であった。他にも、甥っ子である景勝クンに書いたとされる、かな手本も。そりゃあの手本を見たら、きれいな字が書けますぞ。

「書かれた字は、その人を表わす」と、その書道の先生に言われたことがある。最近は、古文書を見て、この人はどんな人なんだろうと妄想することが多くなった。
織田信長のお寧々にあてた手紙の字を見て、信長のやさしい部分に触れたり、伝教大師の肩が凝りそうなくらいの几帳面な字を見ると「上手く手抜きが出来ない人だったんだろうな」と思ってみたり。

最近は、これまたブログで大変お世話になっている方が、後北条家関係の古文書の読み解きをなさっている方のブログを紹介してくださったので、これまた楽しみが増えた。願わくば、あの楽しいお手紙たちの字が見てみたい。

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