史跡に復元するということ。回答を頂戴しました。

先日、史跡復元と観光の件について、上越市の市議さんにメールをさせていただいたところ、お返事を頂戴いたしました。かなりエラそうな、しかも、抗議文なんだか作文なんだかよくわからん文章に、ご丁寧なお返事を頂戴したことを感謝いたします。ありがとうございます。

今回の件ですが、近く上越市による計画書なるものが公開される運びとなったそうだ。よくよく考えると、計画書をちゃんと読まずにメールを発信した私、うかつでございました。しかも抗議のメールが殺到したせいで、この市議さん、上越市からご注意をうけたそうだ。そりゃそうだ、謙信公に心酔されておられる方から、私のようなものまで、メールを送ったんだもの。
まさかここまで、話が大きくなるとは予想されておられなかったご様子も垣間見られた。あの、これでおわかりになられたかと思いますが、上杉謙信公は、地域の英雄だけの方じゃないんですよ。でも、史跡と復元と観光地との関係を見なおすよいきっかけになりそうな気がする。大変でしょうが、頑張ってください。みんなで考えれば、きっと新しい方向性が見えてくることと思う。あと、緑化の保全については、ちょっと難しいですかね。木を切る=環境破壊、とは一概には言えない。これについては、市議さんの言わんとすることは理解できたが。このことを書きだすと、ますますまとまらないので、ちょっと置いておく。

だが今回、この件の記事を書いたおかげで、自分の価値感の狭さを気づかされるとともに、いろいろなお話が聞けてよかったと考えている。

史跡の復元は、反対という立場でいる。正直今でも、反対派である。しかし、何がなんでも反対!!という考え方であったが、はたしてそれでよいのか?と振りかえらされた。それはかつて自分が「お城といえば、天守閣」と思っていたじゃないか、ということである。それは、国宝であったり、昭和期の復元であったり。「ここを、昔のお殿様が通ったんだよねー」とかって言いながら、キャッキャ登っていた日の事を思い出した。あの時は、お城には天守閣があるものだと思っていた。歴史好きの伯父に連れられ、石垣だけの周山城址に登った時、頭の中でそれもお城であると、うまく結びつかなかった日のこと。
彦根で、姫路で、犬山で、そして大阪城で。天守閣を「かっこいい」と感じたからこそ、旅行先や出先などで、ついついお城というものを探すように、そして、それらを取り巻くものすべての事柄に、魅力を感じるようになっていったのだ。

史跡と保存と観光について、自分に都合のよいように解釈していないか?ということも振り返らされた。「この建物はいいけど、これはダメ」だとか「関心がないから、パス」といった考えは危険だ。自分にとって、思い入れがあるなしはあるだろうが、だからといって、無関心でいてはいけない。歴史というのは、独立しているものではなく、続いているのだということ、そしてありとあらゆるものに、係わりを持っているのだということ。この当たり前のことを、再認識した次第。

史跡とのお付き合いの方法にも、感じることがあった。何も、歴史好きのためだけにあるのではないということ。どうしても、史跡では歴史を感じなきゃダメ!って思うけど、地元の方にとってそこは、お散歩コースであったり、憩いの場であったり、息抜きの場所であったり・・・。そういえば、明日香在住の同僚からすると、石舞台の付近は、史跡でもなく、観光地でもなく、「日ごろの運動不足を解消するための私のお散歩コース」なのだそうだ。

この件をきっかけに、いろんな方のお考えに触れることができたこと、そして自分自身の史跡と復元との兼ね合いについて、今一度考えなおすことが出来たことが、収穫であったかと思っている。おっちょこちょいで、料簡せまいことをいうヤツですが、これからもどうぞお見捨てなきよう、お願いいたします。

ペラい私の文章にお答いただいた、山城守さま、今参りさま、滝沢いっせいさま、ありがとうございます。そして、このお話を私にしてくださった、いづな薫さまにも感謝いたします。でも、いづなさま、これからですよ。一緒に考えましょう。



写真は、葉桜になり、静けさをとりもどした大和郡山城址。私のお散歩コースの一つ。でもよくよく考えれば、この向櫓は昭和期の復元物なの〜。この復元には、大和郡山市民の思いが詰まっているのだ。これもまた、立派な歴史の一部なのかもしれません。ダメ?


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